活動報告
活動報告
それぞれの10年 ~立谷 洋~
2021-03-12
2011・3・11 あの日から見てこの10年は何だったんだろうと考えた時、この10年という月日はまったく変わっていないと言えるものかもしれない。なぜなら私が住んでいる地域、私が携わっている仕事、私が支援させて頂いている人達が、まだあの時を今も引きずっているからだ。
あの日を境に常にあの日を思い出し、失ったものを埋めようとして辛く切ない思いを繰り返す。今現在が2011・3・11のままで、時計が2・46のままで止まっている方が数多くいる。その止まったままの時を動かそうとして苦しい思いをしている人達には、この10年という月日は関係ない。10年たっても20年たってもその切ない苦しい思いは消えない。
震災から10年ということでマスコミが取り上げることは、震災を忘れないためにも風化させないためにも必要だとは思っている。しかし普通にマスコミが使っている「10年の節目」という言葉に怒りを感じている遺族がいるのも事実である。「毎日が慰霊の日」「東日本大震災は10年たっても今も現実」と思っている遺族の方もいる。
被災された人達にとって5年だから10年だからは意味を持たないことだと思う。被災地に生まれ育った私にとって、被災地を支援する仕事に携わっている私にとって、これからも東日本大震災と毎日向き合っていく必要があると思うし、そうして行きたい。
こころのケアの仕事をさせて頂いて10年が経つ。支援が終了した方、支援途中で亡くなった方、また道半ばで退職していった同僚たち。
みんなの顔が浮かぶ。
震災後、福島の支援に燃えて被災地に来てくれたNさん。お元気でしょうか。
Aさん。体調はもう大丈夫ですか。あなたの笑顔にはずいぶん助けられました。
そして最後までお酒を止められなかったSさん。福島第一原発の爆発当日、必死になって消火活動をしてくれましたね。
あちらでは美味しいお酒を飲んでいますか。
東日本大震災・・・すべての人を・・・忘れない。